りんごを中心に果物を生産・直販
災害を乗り越え若い力を呼び込む
代表取締役の徳永虎千代氏が家業の農業を継いだのは弱冠24歳の時。地域は過疎化のただ中にあり、離農者が後を絶たない状況だった。
「農家の会合に出席しても、若手の比率は圧倒的に低かった。先輩方がぽつりぽつりと農地を手放していかれた。その農地を引き受けていく。ここから自分の地域活動は始まりました」
耕作放棄地を借り受ける
農地を手放す際は更地にして売るのが一般的。しかし徳永氏は果樹が植わった状態のまま借り受けた。りんごの場合は植えてから100年も実をつける。精魂込めて育てた農家には大いに喜ばれた。「産地の景観も維持できます」。りんごの樹も恐らく喜んでいただろう。
徳永氏が地域貢献を考えるのは家系の影響があるかもしれない。祖祖父の徳永初太郎氏は赤沼村の村長でもあった。
「当時の赤沼村の主要産業は養蚕でした。多くの農家が桑を植えていたそうです」
ところが赤沼という地名から分かるように、当地は歴史的に水害に見舞われることが多い。近くを流れる千曲川の洪水を想定した時、水に弱い桑を栽培するのは危険があった。
「祖祖父は治水に力を入れるとともに、水に耐性のある果樹への転作を進めていきました」。こうして全国でも有数の大りんご産地がここ長野の地に生まれることとなった。
台風19号による被害
しかし徳永村長の想定を超える災害が地域を襲う。令和元年台風19号による大水害である。千曲川は堤防が決壊し、北陸新幹線の車両10編成120両が水没し使用不能となった。
農家の被害は大きかった。畑は水に浸かり、住居は床上浸水どころか2階まで浸水する状態。農機の被害を含め、フルプロだけで被害額は1億円に及んだ。
この激甚災害は多くの農家の心を折った。高齢層を中心に農地を手放す農家が続出。フルプロはこれを借り受け、結果的に産地を壊滅から守った。
徳永氏は農家を引き継いだときから、農家の経営が基本赤字であることに大いに疑問を感じてきた。事業を安定させるには黒字化が欠かせない。そのために規模を拡大する。生産性の向上に取り組む。販路を開拓する。それらの努力が実り「やっと黒字が出せるようになりました」
農業経営者として
力を入れたのがりんご栽培の生産性向上だ。欧州で開発された「トール・スレンダースピンドル」という栽培方法を積極的に導入した。農作業が楽になるうえ、単位面積あたりの収量が3倍になる。
販路は農協に頼らずに済む状態を作った。
「りんごは収穫直後がいちばん美味しい。新鮮なりんごを消費者にお届けするには直販しかありません」。甘みが増すことで知られる「葉取らずりんご」も、今は直販でしか届けられないという。
Web広告や新聞広告で消費者を集め、リスト化し、そこにDMを送る。「リピートしてくださるお客様に大いなるモチベーションをいただいています」
りんごの需要はもちろん地元長野や青森など産地では薄い。「産地から遠い九州や関西圏のお客様が実は多いことが分かりました」
お客様の要望に応える意味もあり、ぶどう、桃の栽培も始めた。いずれも鮮度が高いほど美味しい果物だ。
販路や作物の種類が増え、管理する農地は13ヘクタールに増えた。これを支えるのが「フルプロ農園の宝」スタッフである。
現在の正社員は5人。パートが5人。農繁期に入るスポットのアルバイトは数百人を数える。
社員の中には関東圏からIターンで就農したスタッフも居る。「地域の人口増に少し貢献したことになります」
こうして集まった社員が農業を覚え、農業経営を覚え、地域や日本の農業を支える力になってくれることが徳永氏の目標である。
取材を通じて感じたのは、土地も人も天からの借り物であるという姿勢だった。昭和的ながめつさはない。これは新しい世代の特徴かもしれない。
農園の発信力を高めるために農学部の学生ほかに農業体験を提供する。マスメディアにも積極的に出るようにしている。「台風19号の際に報道機関とのつながりができました。それが今も続いています」
黒字化による事業安定化、従業員満足、消費者満足、そして地域の発展。狙うのは四方良しである。
取材・文 豊川博圭
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